「CITIZEN KANE 市民ケーン」
オーソンウェルズの名作。デビュー作。
(一応ネタバレ注意)
金網から模様が変化、怪しい城らしき建物が出てくる。場面転換が流れるようで、セリフが一切ない。時間の流れを感じる。
球体が転げて割れる、球体の中から見た映像が流れる。どうやって作ったのだろう。
ザナドゥーという遊園地らしい。
ケーンとは何者なのか、新聞王と呼ばれていた男なのだ。コロラドに金鉱をもっていた。
実在の人物であるかの様に語られる、ファシストであり、アメリカの一市民でもある、
様々な顔をもつケーンについて新聞記事や時間を実在の人物として語る。
映像の中の人物が映像を作っている。メタフィクション的なSF作品に似ている。
以後場面が変わり、最後に残した言葉「バラのつぼみ」の謎のを解いていくことになる。
背景は絵にも見える、場面が最初に出た雪のシーンへ、カメラが切れることなく外と中の場面を納めている。子どもの姿が常に見えている。
ケーンの両親の離婚、カメラの移動が上手い。
頭のいい子だったのか、母親思いの子だったのか、時間の経過がソリに積もる雪でわかる。
25歳になったケーン。BGMとカメラ、場面転換が気持ちよくリズムに乗って進む。
カメラが寄っていく、1シーンを同じカメラで撮っているからか、演技がリアルで引き込まれる。場面戻り、現代からまた過去。軽快な音楽は過去の懐かしくも誇らしいケーンの武勇を物語の様に映し出す。市民としての考え方を新聞に乗せる。アップからの引き、6年後に飛ぶ、場面転換が本当に上手い。ユーモアの効いた会話は頭の良さを表している。
ミスターは嫌い、あくまでケーンは市民の1人である。という認識で好かれていた。
反射の使い方、部下の裏切りフラグか、
彫刻のコレクション。ヒゲが生えたことでさらに時間が経った。ケーンの様子が変わった。
それはケーンの結婚。大統領の姪とであった。
「バラのつぼみ」とは女性かと思われたが、失ったものなのでは。話題が戦争に変わっていく。リーランドが知っているのだ。
真実に迫るサスペンス。残酷な扱いを受けていた。人を信じようとしなかった。
最初のケーン夫人とは数ヶ月で朝食しか合わなくなった。マリッジブルーか、時間の経過と夫婦の諍い。愛をほっしていた、自分には無いから人を愛せない。彼は自分自身を愛していた。それと母親だけ。彼は一般市民の代表と自分を言った。時間の経過の演出が上手い。
州知事に立候補。数々の彼の行いがフラッシュバックしてくる。
破滅の気配が漂う、彼は孤独だったのか、愛を知らないケーン。
バラのつぼみとは何か、それは彼というパズルの中のピースの一つなのか、
途中、冗長に感じて流し見、演技部分がとにかく多い、描写が緻密である
視聴後、バラのつぼみは、放映当時の新聞の大人物が愛人の性器をそう呼んでいた、的な事がイントロダクションに載っていた。
映画自体が皮肉の様な、現実と映画を行き来する、そんなニヒルな笑いがあったのかもしれない。